TOP 2003.10 VOL.80
『匠』トップページへ 『旬』トップページへ 『熱』トップページへ 『報』トップページへ 『歴』トップページへ 『遊』トップページへ ブロードバンド番組
トップページへ
特集 | クローズアップ | 立ち話 | 東西南北
サイトウ・キネン フェスティバル
松本2003
文 佐々木喜久◎音楽ジャーナリスト text by Yoshihisa SASAKI
写真 大窪道治◎写真家 photo by Michiharu OKUBO
 

毎夏、日本アルプスに抱かれた長野県松本市を舞台に開催されている
「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」が九月中旬、今年も盛況のうちに幕を閉じた。
音楽祭の柱となっているオペラ上演はヴェルディの「ファルスタッフ」。
一方、オーケストラ・コンサートではブルックナーの交響曲第七番を取り上げ、
全国各地から集まった多くの音楽ファンたちに今年も大きな感動を残した。

今年のサイトウ・キネン・フェスティバル松本は、八月二十二日に開幕した。その前日の二十一日には、オープニング・コンサートがフェスティバルの十二年の歴史の中で初めてザ・ハーモニーホールで行われた。総監督の小澤征爾は例年、フェスティバルの開幕に先立ち、奥志賀高原に若い才能を集めた室内楽勉強会を開いて英才教育を行っているが、今回は彼らの披露演奏を兼ねたオープニング・コンサートであった。
 これまでにない早い開幕に加えて、今年は会期が九月十四日までの二十四日間と、かつてないロングランとなったこともあり、オペラもオーケストラ・コンサートもそれぞれ四公演ずつ。加えて、ロバート・マンが指揮やヴァイオリンでリードした室内楽や室内オーケストラ公演、バロックの権威ワルター・ファン・ハウヴェが取り仕切るバロック音楽公演といった「ふれあいコンサート」も拡充され、規模、内容とも一段とスケールアップしていた。
 音楽祭の核の一つ、オペラ上演は、今年はヴェルディの「ファルスタッフ」。上演されたプロダクションはオリヴィエ・タンボージの演出で、一九九九/二〇〇〇シーズンにシカゴのリリック・オペラで初演されたもの。舞台装置(フランク・フィリップ・シュレスマン)もシカゴから運び込まれており、上演前から舞台の幕が上がっていて、やや誇張して言えば、会場に入った聴衆はイングランドの田舎町の街角に紛れ込んだ気分に誘われる。また、シーンによって中央部分に貝のように上蓋を開閉させる二重構造を使って変化を出して、ファルスタッフを追い回す騒動を巧みに処理していた。
 好色で大酒飲みだが、好々爺の老騎士が女房連合にやりこめられるという、笑いの中に人情の機微を映し出したヴェルディ最晩年の傑作(原作はシェークスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」)は、アンサンブル主体のオペラだけに、歌手は歌唱力だけでなく、演技力も求められる。その点、タイトル・ロールを演じたパオロ・ガヴァネッリは、明るめで朗々と響く声を駆使して、計略にまんまと引っかかる憎めない騎士を歌い演じて、貫禄十分の主役ぶりであった。また、フォード役のロベルト・セルヴィーレ、ピストル役のジョヴァンニ・フルラネット、バードルフ役のジャン=ポール・フーシェクール、フェントン役の若いグレゴリー・トゥレイなど、男声陣は適材適所の布陣で好演を繰り広げた。
 一方、女声陣は、存在感ある歌唱を聴かせたクイックリー夫人役のバーナデッテ・マンカ・ディ・ニッサの他は、全般に声量面で少々物足りない。当初予定されていたフォード夫人役のダニエラ・デッシーが急病で出演を辞退したのが惜しまれた(代役はマリーナ・メシェリアコヴァ)。それでも、ファルスタッフにお灸を据えてやろうと女房たちが誓う第二幕の四重唱をはじめ、随所に息のあったアンサンブルを繰り広げて場内に笑いを巻き起こしていた。
タングルウッド音楽祭やパリ・オペラ座など欧米各地で何度も指揮して、このオペラを熟知している小澤の柔軟な指揮に応えて、自らもイタリア・オペラを楽しむ風情のサイトウ・キネン・オーケストラは、生き生きとたっぷり歌い上げたのである。
 一方、オーケストラ・コンサートは今年、メインにブルックナーの交響曲第七番(ノヴァーク版)を据えた。ブルックナーは、小澤がかねてからベートーヴェン・シリーズの後に取り上げたいと語っていた作曲家。ちなみに小澤はこの十月にもベルリン・フィルで第七番、来年二月にはウィーン・フィルで第二番を振ることになっている。小澤のブルックナーの季節がめぐって来たようだ。
 ブルックナーの前には、フランク・マルタンの「七つの管楽器とティンパニ、打楽器と弦楽合奏のための協奏曲」が置かれていた。世評の高い弦や木管セクションばかりでなく、金管セクションも超一流の集合体であることを証明するには格好の選曲で、名手たちが綺羅星のようにソリストとして指揮台を囲んで並んだところは、サイトウ・キネン・オーケストラならではの壮観さだ。フルートの工藤重典、オーボエの宮本文昭、クラリネットのカール・ライスター、ファゴットの吉田將、トランペットのティモシー・モリソン、トロンボーンの山本浩一郎、ホルンのラデク・バボラク、そしてティンパニーのエバレット・ファースらの絶妙なソロとオーケストラの鮮明な音色によるカクテルが、モダンな香りを持った佳曲の魅力を堪能させてくれた。
 肝心のブルックナーは、満を持して取り上げたというだけに、一段と気合いの入ったマエストロの指揮に応えて、サイトウ・キネン・オーケストラがその持てる底力を存分に発揮した。第一楽章は、まるでアルプスのパノラマを見渡すように、次々に現れる曲想をニュアンス豊かに描き出し、第二楽章では美しい祈りの中から雄大なクライマックスを築き上げた。そして、最終楽章に至ると、響かないこのホールを深々とした豊麗なサウンドで満たし、壮大な交響世界を生み出すことに成功したのである。
 フェスティバルには、公式プログラムには入れられていないが、松本市民と心を通じ合わせる紐帯として、小澤がエネルギーを注いでいる二つの番外イベントがある。一つはブラスバンドによる市中パレード、もう一つは「子供のための音楽会」だ。一人でも多くの子供たちや市民に音楽を享受してもらおうと、世界的巨匠がスケジュールが過密化するのも厭わず、疲れも忘れ、汗まみれになって献身するのを見るにつけ、つくづく松本市民は恵まれていると思う。
 八月三十一日に四十九団体三千人が参加して行われる予定だった今年のパレードは、雨のため総合体育館に変更されたが、九月四日の「子供のための音楽会」には計二百五十五校の小学校六年生約一万五千人が県内各地からバスを仕立てて詰めかけた。午前と午後の二回に分かれ、それぞれ一時間にわたって、オーケストラの楽器紹介、歌劇「カルメン」のハイライトを鑑賞、最後に小澤の指揮で、七千五百人の生徒全員が「故郷」を美しく歌い上げて締め括った。
 スタート時は一回公演だったのを二回公演にしたが、参加希望の学校が急増してついに去年からは抽選にするほどの人気で、LCIというフランスのケーブルテレビの取材も入っていた。ディレクターのジャック・コレットは「音楽は一部の人のものではなく、すべての人のもの」という小澤のポリシーに深く共感、二年前にドキュメンタリー番組を制作したが、それが好評だったので再度取材に来たのだという。サイトウ・キネン・フェスティバル松本からの世界への発信の一例である。
 今年はフェティバルに名作オペラが初登場したが、だからといって、第一回のストラヴィンスキー「エディプス王」に始まり、近現代の珠玉のオペラを紹介してきた路線が切り替えられたわけではない。二〇〇四年はベルク「ヴォツェック」、二〇〇五年は小澤自らが音楽監督を務めるウィーン国立歌劇場との共同制作によるシェーンベルク「モーゼとアロン」を上演することが決まっている。
 小澤は、「モーゼとアロン」を、ベルリン初演時に作曲者の未亡人と一緒に見ており、トロント交響楽団音楽監督時代に上演しようと試みて、直前に中止を余儀なくされている。それだけに、今度は小澤にとって悲願の上演実現となるわけで、世界的にも注目されるはずだ。松本では今、市の中心部にある市民会館が、オペラ・ハウスの機能を備えたホールとして全面改築中で、来年三月には竣工する予定だ。完成すれば、「ヴォツェック」以降のオペラは市民会館で上演されることになるだろうから、新たな楽しみが増えそうだ。なお、来年のオーケストラ・コンサートは「管弦楽のための協奏曲」ほかのバルトーク・プログラムである。

酒飲みで太鼓腹のサー・ジョン・ファルスタッフは、2人の従者にそれぞれフォード夫人アリーチェとページ夫人メグに恋文を届けるよう命じるが断られてしまい、仕方がなくその手紙を小姓に託す
ファルスタッフからの手紙を受け取ったアリーチェとメグ。最初は喜ぶ2人だったが、宛名以外が全て同文だったことを知り自尊心を傷つけられたと復讐を誓う
ファルスタッフからの手紙を受け取ったアリーチェとメグ。最初は喜ぶ2人だったが、宛名以外が全て同文だったことを知り自尊心を傷つけられたと復讐を誓う 
々と響くヴェルディ・バリトンの美声と抜群の演技で会場を沸かしたパオロ・ガヴァネッリ 
真夜中のウィンザー公園にアリーチェの誘いに乗って現れたファルスタッフは、妖精に扮したフォードたちにめった打ちにされてしまう
後にはファルスタッフも皆にからかわれていたことに気が付き大団円の内に幕が降りる
満場の拍手に応える小澤と出演者たち
A サイトウ・キネン・オーケストラのコンサートは今年、ブルックナーの交響曲第7番をメインに取り上げたう
フェスティバルの総監督として今年も八面六臂の活躍を見せた小澤征爾
室内楽や室内オーケストラによる「ふれあいコンサート」も拡充され、フェスティバルの規模・内容は一段とスケール・アップした
多くの子供で賑わった「子供のための音楽会」。午前と午後の2回に分けて15,000人もの児童が本物の音楽に触れた
フェスティバルを支える多くのボランティアの労をねぎらう小澤
 
  サイトウ・キネン
フェスティバル松本


8月22日〜9月14日

※主な公演
ヴェルディ:歌劇「ファルスタッフ」

9月1日、3日、5日、7日
長野県松本文化会館
演出:オリヴィエ・タンボージ
指揮:小澤征爾
管弦楽:サイトウ・キネン・オーケストラ
合唱:東京オペラシンガーズ
[ファルスタッフ]パオロ・ガヴァネッリ
[フォード]ロベルト・セルヴィーレ
[フェントン]グレゴリー・トゥレイ
[ナンネッタ]マリア・ファウスタ・ガラミーニ、他

サイトウ・キネン・オーケストラコンサート
9月10日、12日、13日、14日
長野県松本文化会館
指揮:小澤征爾
曲目:マルタン:7つの管楽器とティンパニ、打楽器と弦楽合奏のための協奏曲/ブルックナー:交響曲第7番(ノヴァーク版)
 
 
> 次のページ
このページのトップに戻る
| トップ | - 匠 - | - 旬 - | - 熱 - | - 報 - | - 歴 - | - 遊 - | ブロードバンド番組 |