TOP 2003.10 VOL.80
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六本木男声合唱団、海を渡る 1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 / 7 / 8 特集
  インタビュー 小林一男&三枝成彰  
Photo by Tomoko Nakagawa
  無謀ともいえる挑戦か、はたまた男たちのロマンか。
いずれにせよ合唱団初の海外公演となった今回のヨーロッパツアーの成功は、
この二人の男の強力なリーダーシップをなくしては語れない。
ひとりは合唱団の”顔”である団長として、
いずれ劣らぬ個性派集団を一つにまとめ上げてきた三枝成彰。
そして、もうひとりは合唱団のコーラスマスターとして、
団員を技術的、音楽的な面から引っ張ってきた小林一男だ。

 
 
  六本木男声合唱団 コーラス・マスター/指揮 小林一男  
これまで比較的地味だった団員の方が、ノリにノって体を揺するようにしてもの凄い形相で歌っていたんです。その姿を見た時は本当に感激しましたね

ツアーが無事に終了しましたね。
 演奏会をすべて終えた今、つくづく感じていることは、音楽の本質はアマチュアだということです。こちらの人たちを見ていて強く思うんですが、「プレイ・ミュージック」というように、とにかく音楽を心から楽しむ、その精神がいつも一番最初にあるわけです。
 例えば、グラーツでは地元の合唱団と共演しましたが、彼らを東京に呼んで普通の響きのホールで歌ってもらったとしても、きっとつまらないものになってしまうでしょう。ところが、あのような一種独特な響きのいい環境で、みんなが楽しんで歌を歌っている。今回は「赤とんぼ」で素晴らしいハーモニーを聞かせてもくれましたが、そこが彼らの世界なんですよ。よそのことは関係なく、とにかく自分たちの楽しみのために歌っている、そのことが凄く大事だと思うんです。
 そして、六本木男声合唱団もそういった本質の部分をしっかりとつかまえていると思うんです。ですから、ウィーンにしても、グラーツやベルリンにしても、少々は音が下がったり間違ったとしても、お客さんはしかめっ面をしないで聴いてくれる。全体を、もっと言えば「音楽する心」を聴いてくれているわけなんです。

どれくらいの実力を発揮できたと思いますか。
 楽友協会という世界屈指のコンサートホールでの演奏という機会に恵まれたウィーン公演に関しては、もう百二十パーセントの力を発揮できたと思います。ウィーンでとても感じたことは、お客さんがとても暖かく迎えてくれて、歌いやすい雰囲気を作ってくれるということです。お客さんに乗せられて最終的にみんな実力以上のものを出すことができたんです。そういった音楽を知っている人たちがいる、成熟された大人の都市で演奏会を開くということは、とても有意義なことだと思いました。そういう環境に日本も早くなってくれたらなと。
 その後のグラーツ、ベルリン公演は、長旅の疲れもあってウィーンほど完璧とまではいきませんでしたが、それまでの練習の成果を発揮できた素晴しい演奏会だったと思っています。欲を言えば、公演と公演の間にもう一日ずつあれば、より満足のいく演奏ができたと思います。ただ、皆さんお忙しい人たちばかりなので、こればかりは…。

ツアーを通じて一番印象的だったことは何ですか。
 個性派揃いの合唱団ですが、中にはおとなしくあまり目立たない団員の方も何人かいらっしゃるんです。練習にも静かに来て静かに帰っていくような(笑い)。そのような、これまで比較的地味だった団員の方が、ノリにノって体を揺するようにしてもの凄い形相で歌っていたんです。それこそ跳ねるように。その姿を見た時は本当に感激しましたね。今でも、その光景が目に焼きついています。

こばやし・かずお
1973年、国立音楽大学卒業後、日伊コンコルソでミラノ大賞を受賞、イタリア政府給費留学生としてイタリア・ミラノのヴェルディ音楽院に留学。74年にミラノのピッコラ・スカラ座でオペラデビューを果たした。75年から西ドイツのオルデンブルク国立劇場専属歌手を務め、77年に帰国した後は、オペラ、コンサートで活躍。94年の團伊玖磨「素戔鳴(すさのお)」や97年の三枝成彰「忠臣蔵」の初演、また、新国立劇場こけら落とし公演、團伊玖磨「建(たける)」といった国内の重要な公演で次々と大役を務めてきた。これまでにジロー・オペラ賞をはじめ、96年にはNHK交響楽団より「有馬賞」を授与されるなど受賞歴多数。現在、国立音楽大学客員教授。

 
  六本木男声合唱団 団長 三枝成彰  
この合唱団は自己顕示欲が強い人が集まっているからかもしれませんが、本番にめっぽう強いんです(笑い)。

無念にも、今回は最終公演地のベルリンでの合流となりました。
 ツアーの出発直前に高血圧でドクターストップが掛かり、日本を離れることが出来なかったんです。みんなと最初から行動を共にしたかったのですが、医者に「死にいくようなものだ」と言われ、断腸の思いで出発を遅らせました。しかし、最終公演だけでもステージに立てて本当に嬉しかったですね。それに作曲家というのは、やっぱり自分で書いた曲を生で聞いてみたいものなんです(笑い)。

今回のヨーロッパツアーは合唱団にとってどのようなものでしたか。
 これはもう、普段は散歩もしないような人たちが、突然エベレスト登頂をめざしたようなものでしたね。合唱団は、1999年の「第七回エイズ・チャリティー・コンサート」に出演するために約二十人が集まった「元美少年合唱団」が元になっていますが、その時期を含めてもまだ結成四年目です。また、現在三百人近い団員が所属していますが、その内の約半分は全く合唱経験が無いどころか、歌などほとんど歌ったことがない人たちです。そんな合唱団が、ウィーン・フィルの本拠地として知られるウィーンのムジークフェライン(楽友協会)やベルリンのコンツェルトハウスといった世界の檜舞台に立ったわけです。無謀な挑戦、大それたことをやってのけたと思っています(笑い)。

そもそも、今回のツアーの構想はどのようにスタートしたんでしょうか。
 お話ししたように、合唱団には審査基準もなく、もちろん、試験もありません。極端なことを言えば、歌えなくてもステージに上がることができます(笑い)。そんな合唱団ですが、やるからには目標を持って真剣に取り組まなければなりません。そんな中で、どうせなら大きなことを成し遂げようと、昨年のサントリーホールでの本格的なデビューコンサートに続いて、今回の初の海外公演が企画されたんです。
 ただし、金満大国の日本が、金にまかせて会場を借りてコンサートを開催したとは言われたくありませんでした。ですから、月に十五、六回も練習を繰り返し、七月には新潟の新井リゾートで夏期合宿まで行い、恥ずかしくない演奏をしようとみんなで頑張ってきたわけです。

成功の要因は何だと思いますか。
 もちろん、参加した団員一人ひとりの頑張り、そしてコーラス・マスターとして合唱団を一つにまとめ上げて下さった小林一男さんのご尽力によるところが大きいですね。偉業を成し遂げることができたのも彼の存在があってこそです。さらに、様々なご支援、ご協力を頂いた多くの方々に感謝の気持ちでいっぱいです。
作曲家としては、自作の「レクイエム〜曾野綾子のリブレットによる」の男声合唱版が世界初演されました。
 ベルリン公演はオーケストラとの共演でしたが、合唱団としてはオーケストラとの初共演ということもあり、随分と勝手が違ってリハーサルは本当に苦労しました。ステージ上で私も歌っていたわけですが、「ヤバイ、違う音が鳴ってる」って、途中から歌どころじゃないんですよ(笑い)。リハーサルの時間も限られていましたし、みなさん長旅で疲れ果てていましたから、最初は焦りましたね(笑い)。
 しかし、本番当日のリハーサルでは随分と良くなり、本番ではそれまでの練習の成果を発揮できました。自分が作曲した意図というものも、充分に表現できていたと思っています。これまで混声版では何度も演奏されてきましたが、レクイエムの心が清らかになるようなイメージが男声だけでも意外に失われなかったのが不思議でしたね。想像では、もっと違いが出るかと思っていたんですが。
 この曲はこれから三年くらいは合唱団で歌っていければと考えています。そうすれば、より精緻な表現で歌うことが出来るようになると思います。自分で作曲しておきながら、自分でも歌えないところも何カ所かあるので(笑い)。

最後のベルリン公演でドイツ語の歌が無かったとの声もありましたが。
 以前、ドイツでドイツ語の歌を歌ったことがあるんですが、それを聞いていたドイツの方に「これ、ドイツ語」と言われて、それがトラウマになっていまして(笑い)。このあたりはあと数年かけて、ドイツ語のみならず、それぞれの国の歌をより美しい発音で歌えるようにしていきたいですね。
  
六本木男声合唱団の活動で一番楽しいことはなんでしょう。
 それは、新しい友人を作っていくことです。普段全く接点のない、違う分野の人たちと出会い、一緒に酒を酌み交わして友人の輪が広がり、より世界が拡がっていくんです。
 それにしても、この合唱団は自己顕示欲が強い人が集まっているからかもしれませんが、本番にめっぽう強いんです(笑い)。俺こそ一番だと思っている人たちばかりですから(笑い)。裏を返せば、本番に強いからこそ、ここまで生き残ってきた強者揃いなんです。

さえぐさ・しげあき
1942年、東京都出身。東京芸術大学を首席で卒業、同大学院を修了。多筆で知られ、代表作にオラトリオ「ヤマトタケル」、「レクイエム〜曽野綾子のリブレットによる」などがあり、「優駿」や「お引越し」などの映画音楽、NHK大河ドラマ「太平記」、「花の乱」なども手がけている。91年にはザルツブルク・モ−ツァルテウム財団の委嘱により、モ−ツァルト未完の三重協奏曲を補筆、完成させて話題を集めた。97年に初演されたオペラ「忠臣蔵」は2000年に名古屋で改訂版初演、2002年には東京新国立劇場で再演されている。プッチ−ニのオペラ「蝶々夫人」の続編となる、オペラ「Jr.バタフライ」が04年4月に上演されることが決まっている。
 
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