TOP 2003.10 VOL.80
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六本木男声合唱団、海を渡る 1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 / 7 / 8 特集
  なぜ歌うのか なぜ六男で歌うのか  
 
  六本木男声合唱団のメンバーには、政治家や法律家、経済界の大物や文化人、アーティストと忙しい人が多い。しかも、コンサート前になると、練習の回数が飛躍的に増える。月の半分が練習になることだってある。忙しい彼らが、なぜ自分の時間を削って、これほどまでに合唱に打ち込むのだろうか。そして、なぜ六本木男声合唱団で歌うことにこだわるのだろうか。  
 
   俳優 辰巳琢郎  
辰巳琢郎
たつみ・たくろう
1958年、大阪市生まれ


 六本木男声合唱団には、誘われて入ったんです。「どうしても歌いたいから」という強い気持ちではなかったんですが、実際にやってみると気持ち良かったんですよ、歌うこと自体が。思うに、歌には一種の浄化作用があると思うんですよ。歌うと凄くシンプルな気持ちになって元気になる。それがやめられない理由ですね。この合唱団には色々なジャンルの人が集まっていますが、体育会系のノリがあって、みんな少年のような顔になって無心になって取り組んでいるんですよね。年齢の幅もあるのに、一つになってやっているところがいいですね。普段はトップにいる人たちが、自分を抑えて一つのアンサンブルを作ろうとしていて、その姿は美しいと思うんです。逆に言うと我が儘な人が多く(笑い)、まとまりにくいんですが、それがまた逆にパワーになっているのかも知れませんね。歌がうまい人たちだけの合唱団ではなく、楽譜を読めない人も多いですし、違う音を歌っちゃう人もいる(笑い)。でも、「みんなで渡れば恐くない」ってわけではないですが、みんな難しいことを考えずに「歌って楽しもう」という姿勢で統一されているところが素晴らしいと思います。

 
   全労済理事長 鷲尾悦也  
鷲尾悦也
わしお・えつや
1938年、東京生まれ


 中学では音楽の授業がありましたけれど、卒業してからは音楽をやったことないんです。でもやっぱり好きだったので、大学では合唱団に入りました。ところが、ここがもの凄いエリート主義で、楽譜が読めなくてはいけないとか、うるさいことをいうわけです。そんな体質に閉口して、数カ月で辞めてしまったんです。その時のことがずっと心に残っていて、合唱に対して怨念みたいなものがありました。聴く方は、大学時代からオーケストラやオペラもたくさん観ていて、社会人になってからも二期会や藤原歌劇団の公演をよく観ました。でもいつか歌を歌ってやるんだ、という想いは持ち続けていたんです。そんな時、三枝さんとある勉強会でご一緒したんです。あの方は多趣多芸な方で、その中で人脈が広がっていくんですよね。彼から、こういう合唱団があるというのを聞いて、では昔の怨念を晴らそうかとなったわけです(笑い)。この合唱団は、楽譜が読めなくても入れるという意味でエリート主義ではありません。確かに、社会的にはエリートと呼ばれる人たちがたくさんいますが、そんな日本のトップにいる人たちが、音楽の前では普通の人になるんですよ。謙虚な姿勢で臨める貴重な場になっていると思います。

 
   テレビ・キャスター  露木茂  
露木茂
つゆき・しげる
1940年、東京生まれ


 世界中で音楽が嫌いな人って一人もいないと思うんです。聴くのが好きだったり、演奏するのが好きだったり、また演歌が好きだったりジャズが好きだったりと人それぞれですが、みんな音楽が大好きだということには変わりありませんよね。僕自身も学生時代から音楽をやっていました、合唱ではなくバンドですけど。だから、「なぜ歌うか」に特別な理由はないんです。ある時、三枝さんに「元美少年合唱団」に入るよう言われたんですが、「そんないやらしい名前の合唱団には入らない!」と言っていたら、今度は「六本木男声合唱団に名前を変えたから」と、「それなら入りましょう」となったわけです。この合唱団がヨーロッパ公演をするという、無謀な計画を実現してしまったことは、まさに三枝マジックです。そして公演を最後までやり遂げられたのは、小林一男さんのおかげと言ってもいいでしょう。この合唱団はいい人ばかりではないですが(笑い)、わがまま親父たちが音楽を作り上げることができたのは、小林さんの人柄によるところが大きかったと思います。団の規約の中にある「音楽を通じて自由な人生を謳歌する」という言葉、これは私が考えたものですが、この公演を通してそれが達成できつつあるのを感じましたね。

 
   アートディレクター 浅葉克己  
浅葉克己
あさば・かつみ
1940年、横浜生まれ


 私が尊敬する人物で、アーネスト・シャクルトン男爵という南極探検をした人がいるのですが、この人が、新聞に短い探検隊募集の広告を出すんです。それで応募してきた人たちに、「あなたは本当に困った時に、みんなと一緒に歌が歌えますか」と訊いたんです。僕はデザイナーなのでビジュアルでコミュニケーションするのですが、彼に言わせれば、歌はコミュニケーションの方法なんですね。私は小さい頃、ボーイスカウトの最上級のフジスカウトにいて、ソングリーダーだったんです。その時に合唱の楽しさを知って、それがずっと胸の奥に眠っていたんです。三枝さんと出会ったのはもう三十年も前ですが、彼と話をする中で眠っていた歌に対する情熱が沸々と甦ってきたんです。それで二十人くらいでやって、そうしたらやっぱり歌うことはいいな、と「元美少年合唱団」を結成したんです。昔、知り合いのジャーナリストが「北極に行くぞ」ということで北極圏人会を作って、実際に僕も北極に行ったんですよ。以来、僕の座右の銘は「冒険」。この六男の活動だって、冒険の一つ。だってボーイスカウトからこの方、歌なんてちゃんと歌ったことないですからね。「冒険」であるから、それが歌う理由でしょうか。

 
   ナルミヤ・インターナショナル会長 成宮俊雄  
成宮俊雄
なるみや・としお
1935年、広島生まれ


 歌がもともと好きだったんです。でも、合唱は初めての体験でしたね。誘われて入ったんですが、まず驚いたのが小林先生の熱意。あれだけ忙しいアーティストの方が、たくさん練習を見に来てくれて、しかもみんなより早く来て、準備をしているんですよね。これだけやっていただいているのに「飲み会があるから」と、そっちに行くわけにはいきません(笑い)。忙しくて練習に出て来られない方もいらっしゃるんですが、その分までやっておかないと、全体のハーモニーができて来ませんから、会社が近い私なんかが頑張らなくては、と。それにしても、みなさんの元気とパワーは凄い。熟年パワーというか…。でも、年寄り臭い人は一人もいないんですよね。それに、この合唱団のことを知ってくれている人がたくさんいるということです。「今度のチケット、なんとかして入手したいのだけど」なんていう相談をよくされます。有名な方が多いからでしょうか。でも、例えば羽田さんにしても、普通に来て普通に歌っていく。また、そんなところが好きなんです。肩書きでものを言うところではないんですね。一つのことにこんなに集中したのなんて、本当に久しぶりです。もう遊びという感じではなくなって、一生涯のものになると思います。

 
   NECエンジニアリング会長 小野敏夫  
小野敏夫
おの・としお
1935年、東京生まれ


 私は合唱が人生になっちゃったんですよね。高校二年の時から歌い続けて、もう五十年以上も歌い続けているんですよ。会社がどんなに忙しい時でも、土日は必ず練習に出ていました。合唱の味を覚えてしまったら、早く仕事を終わらせて、早く練習に行こうと思うようになるんですよ。今、四つ合唱団をやっています。家内と一緒に出ているのもありますし、僕自身が主宰して、指揮もしている合唱団もあります。合唱活動が生活の中に組み込まれているんですね。六男に誘われた時には「どれくらい持つかな」と思いましたが、リーダーの魅力、そして団員の魅力でここまで続いてきました、それから、男声コーラスで歌うということ自体の魅力もあります。混声コーラスに比べると少なく、実は思われているほどはないんです。男声の魅力は四十歳過ぎてから。四十を過ぎると声の練りが違ってきて、五十代、六十代と、どんどん良くなっていくんですよ。若い時の声は、周りと混じりにくい。この合唱団はその点、非常に融けやすい、合いやすい声になっているんです。確かに、六本木よりもうまい合唱団は山ほどある。でも、これだけ個性豊かで特色を持っている合唱団はちょっとない。これからが楽しみな合唱団だと言えますね。

 
   吉田プロジェクト代表 吉田茂  
吉田茂
よしだ・しげる
1943年、東京生まれ


 普通の素人で、クラシックも歌ったことのない人間が去年の7月から合唱を始めて、ウィーンの楽友協会で歌ってしまうなんて、夢のような話ですよね。考えてみれば、北海道で暮らす私がこの合唱団に入っているのも不思議な話ですが、そもそも、「ウィーン楽友協会で歌うんだよ。一緒に歌わないか」と誘われたのが始まりでした。毎回東京に出られないので、札幌で個人レッスンにもつきましたし、月に二回くらいは東京での練習にも出ています。だから、僕のレッスン料といったら、莫大な金額をかけてます(笑い)。なぜこんなにまでしてやるのか、というと、一言で言うと取り憑かれてしまったわけです。一人で歌うのは勇気がいるが、仲間がいて、そのひとたちと時間と空間を共有していることがとても気持ち良いんです。また、札幌の友人が、サントリーホールの公演時も高価なチケットを買ってくれて泊まりがけで来てくれたり、8月の休みを9月にずらしてウィーンまで聴きに来てくれたり。自分が歌を歌って楽しい、ということ以上に、そういった人間関係がうれしいですね。熱心なサポーターというか、追っかけというか(笑い)、そういう人がいるのはそれはもう嬉しいですよ。

 
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